人生いろいろ
お友達のPosterousで「社会参加」に関する記事を読みました。
正直、私もずっと悩んで(考えて?)いて、なんでなんだろうなぁ。って、私の中で、ずっとそんな風に漠然と思ってたことがあるのでまとめてみます。
数か月前、小学校2年生の息子の通う学童で、知的障害のある方たちと触れ合うという時間がありました。
公園で一緒に遊ぶだけと言えば、それだけなのですが、息子には感じるところが多かったようで、私に、こんなコトを言ってきました。
「○○(団体名)さんたち、オレ怖いんだ」
「ボクに何かしたの?」
「ううん、しない」
「じゃあ、どおして?」
「うう~~、とかってしてきて何がしたいのか分からないもん」
確かに彼らは、息子よりも体が大きく、息子からしたら明らかに「大人」。もしかしたら年齢的にも、そうなのかな?
その「大人」の方が、まるで小さな子供のように言葉にできない声で「あそぼ~~~」と言わんばかりに近寄ってきてくれる様子。初めて体感した息子は、びっくりして「怖い」と感じてしまったんでしょうね。
私はしばらく、このことについて考えていました。いや、とても不安に思っていたんです。
「なんで○○(団体名)さんたちと遊ばないといけないの?」もし、息子にそう聞かれたら、私は何と答えたらいいのだろうか。
そう。私は、そう聞かれた場合の「答え」を持っていなかったんです。
例えば、老人ホームへの慰問・目や耳の不自由な方との合同イベントetc たぶん誰でも一度は、なんらかのカタチで関われる機会のあったモノと思われる、いわゆる「交流の場」。
私は「そういった機会は、あって当たりまえ」「あるんだから参加して当たり前」ずっと、そんな姿勢で関わってきました。それも、かなり意気込んで。
「参加したからには、人として何か役に立つように。互いに何かを学び合い・・・」ずっと、そんな風に。。。。
でもね、ほんとにそお?????????????
実は、こういった「なんとなくの疑問」というのは子供を持った頃から、それこそ「なんとなく」ではありますが、ずっと感じていて解決できないまま。きっと、自分としても、ただ我武者羅(ムチャクチャ?)にやってきてしまったことを、そのまま子供に押しつけるのか!とか、そんなことを、それこそただ漠然と感覚で捕えて(感じて?)不安に思っていたんでしょうね。
では「なぜ、そういった場が必要なの?」「どうして?」「その理由は?」
ええ、そうですね。そんな物は・・・、語弊があるかとは思いますが、あえて書かせて頂きます。
きっと「ない」んです。
ここが、お友達のPosterousを読んで、私なりに感じたとこなのですが
ただ「そういう生き方もあるんだな」そう思うことが何よりも重要。逆に言えば、そのことを認識するためにある場所だと言っても過言ではないのではないかと。
かなりの勢いで意気込むワリには、一番大事なところが見えてなかったんですねw だから答えがなかった。
ただ、触れ合って知り会うこと。まずは、それが大事なんですね。
世の中には、たくさんの人生があり、いろいろな方たちがいらっしゃいます。
みんな違って、みんな別の人格を持っています(金子みすずw?)。
まずは、そういう人達みんなで「こういう人生もある」そう感じることができればいいだろう。と、そういうコトなんだと思います。それ以上のことは、あくまでも、その先に。
一人目の子供はすでに中学生になり、二人目の子供が小学2年生になった今になって、改めてそんなコトに気づいています。
遅っw
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